1. はじめに|DVと診断書の重要性
ドメスティックバイオレンス(DV)の被害に遭った際、多くの被害者が「証拠がない」という理由で泣き寝入りしてしまうケースが後を絶ちません。しかし、医療機関で発行される診断書は、DV被害を立証する上で非常に強力な証拠となります。
診断書は、単なる医療記録ではありません。それは客観的な第三者である医師が、専門的見地から被害者の状態を記録した公的文書です。警察への被害届提出、家庭裁判所での保護命令申立て、慰謝料請求、離婚調停など、様々な法的手続きにおいて重要な役割を果たします。
特に、DV被害は密室で行われることが多く、目撃者がいないケースがほとんどです。このような状況下で、診断書は被害の事実を客観的に証明する貴重な証拠となるのです。適切なタイミングで受診し、詳細な記載内容を含む診断書を取得することで、その後の法的手続きを有利に進めることができます。
しかし、診断書の証拠価値は、受診のタイミングや記載内容によって大きく左右されます。暴力を受けた直後に適切な医療機関を受診し、医師に状況を正確に伝えることが重要です。また、身体的な暴力だけでなく、精神的な暴力による心的外傷についても、診断書を取得することが可能です。
本記事では、DV被害者が診断書を取得する際の具体的な方法、記載されるべき内容、そして各種法的手続きにおける証拠価値について、詳しく解説していきます。
2. 診断書の取得方法
2-1. 受診先の選択
DV被害で診断書を取得する場合、受けた暴力の種類や症状に応じて適切な医療機関を選択することが重要です。
外科・形成外科 顔面や身体への打撲、切り傷、擦り傷などの外傷がある場合は、外科や形成外科が適しています。これらの診療科では、外傷の程度を詳細に記録し、受傷機転(怪我をした原因)についても専門的な見解を示すことができます。特に、顔面の傷は写真撮影も行われ、視覚的な証拠としても有効です。
整形外科 骨折や脱臼、打撲による腫れや内出血が疑われる場合は、整形外科を受診しましょう。レントゲンやCT、MRIなどの画像診断により、骨や軟部組織の損傷を客観的に確認することができます。特に、肋骨骨折や鼻骨骨折など、DVでよく見られる外傷については、整形外科での診断が重要になります。
精神科・心療内科 身体的な暴力だけでなく、言葉による暴力、威嚇、監視などの精神的DVによって、うつ状態、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの症状が現れている場合は、精神科や心療内科の受診が必要です。これらの診療科では、詳細な問診と心理検査により、精神的被害の程度を診断し、適切な診断書を作成してもらえます。
産婦人科 性的暴力を受けた場合や、妊娠中に暴力を受けた場合は、産婦人科での診断が重要になります。特に、妊娠中の暴力は母体と胎児の両方に深刻な影響を与える可能性があるため、専門的な診断が必要です。
2-2. 受診のタイミング
診断書の証拠価値を最大化するためには、受診のタイミングが極めて重要です。
暴行直後〜数日以内が理想的 最も証拠価値の高い診断書を得るためには、暴力を受けた直後から数日以内に医療機関を受診することが重要です。この期間内であれば、外傷の状態が鮮明に残っており、受傷機転と症状の因果関係が明確に認められます。また、痛みや腫れなどの症状も強く現れているため、医師も診断しやすい状況にあります。
時間が経過しても受診は有効 しかし、様々な理由で即座に受診できない場合もあります。加害者に監視されている、経済的理由で受診できない、恐怖や混乱で判断力が低下している等の理由です。このような場合でも、時間が経過してから受診することに意味がないわけではありません。
時間が経過した場合でも、以下のような症状や状態が認められれば、診断書の取得は可能です:
- 傷跡や変色が残っている場合
- 継続的な痛みや機能障害がある場合
- 精神的症状(不眠、不安、うつ状態など)が続いている場合
- 既往歴や症状の経緯を詳細に説明できる場合
緊急性のある場合 生命に関わるような重篤な外傷がある場合は、躊躇せずに救急外来を受診してください。この場合、診断書取得よりも治療が優先されますが、治療記録は後に重要な証拠となります。
2-3. 持参すると良いもの
診断書の内容をより充実させ、証拠価値を高めるために、受診時に持参すると良いものがあります。
保険証 基本的には健康保険証を持参しましょう。ただし、緊急時や保険証を持ち出せない状況では、保険証がなくても受診可能です。後日、保険証を持参すれば清算できます。
暴力状況のメモ 可能であれば、以下の内容を記録したメモを用意しておくと、医師への説明がスムーズになります:
- 暴力を受けた日時
- 暴力の内容(殴る、蹴る、物を投げるなど)
- 使用された道具や凶器
- 暴力を受けた身体の部位
- その後の症状の変化
写真記録 外傷の写真があれば持参しましょう。ただし、医療機関でも改めて撮影される場合があります。撮影時は以下の点に注意してください:
- 日付と時刻が記録されるよう設定
- 傷の全体像と詳細の両方を撮影
- 定規などでサイズが分かるものを一緒に撮影
証拠となる録音・録画 暴力の瞬間や、加害者の暴言、脅迫などを録音・録画したデータがあれば、診断の参考資料として提出できます。これらは医師が受傷機転を判断する際の重要な情報となります。
3. 診断書の記載内容
診断書の証拠価値は、その記載内容によって大きく左右されます。適切な内容が記載された診断書は、法的手続きにおいて強力な武器となります。
3-1. 基本的記載事項
受傷日・受診日 診断書には、被害を受けた日(受傷日)と実際に医療機関を受診した日(受診日)が明記されます。これらの日付は、暴力の発生時期と症状の因果関係を示す重要な要素です。受傷日から受診日まで時間が空いている場合は、その理由も併せて記録されることがあります。
外傷の部位・程度の詳細記載 身体的暴力による外傷の場合、以下のような詳細な記載がなされます:
- 「左頬部に長径5cm、短径3cmの挫創」
- 「右上腕部に直径8cmの皮下出血」
- 「鼻骨骨折、軽度の転位を認める」
- 「第5肋骨にひび(不全骨折)を認める」
このような具体的な記載により、暴力の程度や使用された力の大きさを推定することができます。
推定受傷機転 医師が専門的見地から判断した、外傷の原因についての記載です:
- 「鈍器による殴打」
- 「転倒による外傷とは考えにくく、他力による受傷が疑われる」
- 「手拳による打撲と推定される」
- 「引っ掻かれた際の爪痕と考えられる」
この記載は、事故ではなく暴力による受傷であることを示す重要な証拠となります。
3-2. 治療期間と予後
加療期間の見込み 診断書には、完治までに要する治療期間の見込みが記載されます:
- 「全治約2週間の見込み」
- 「約1か月間の通院治療を要する」
- 「完全回復まで3か月程度を要する見込み」
この記載は、慰謝料算定の基礎資料となる重要な情報です。
後遺症の可能性 重篤な外傷の場合、後遺症の可能性についても言及されることがあります:
- 「機能障害の残存の可能性あり」
- 「瘢痕形成により外観に影響する可能性」
- 「神経症状の残存が懸念される」
3-3. 精神的被害の診断
診断名の明記 精神科や心療内科で診断を受けた場合、具体的な診断名が記載されます:
- 「急性ストレス障害(ASD)」
- 「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」
- 「うつ病エピソード」
- 「適応障害」
- 「不安障害」
症状の詳細記載 精神的症状の具体的内容も詳細に記載されます:
- 「不眠、悪夢、フラッシュバック症状を認める」
- 「強い不安感、恐怖感が持続している」
- 「食欲不振、意欲低下、集中力の著しい低下」
- 「外出恐怖、対人恐怖の症状あり」
日常生活への影響 精神的被害が日常生活に与えている影響についても記載されることがあります:
- 「就労に支障をきたしている」
- 「家事動作に制限がある」
- 「社会的活動の著しい制限を認める」
4. 証拠価値と活用場面
診断書は、DV被害者が様々な法的手続きを進める上で中核となる証拠です。その活用場面は多岐にわたります。
4-1. 刑事手続きでの活用
警察への被害届・告訴状提出時 警察に被害届を提出する際、診断書は被害の客観的証拠として重要な役割を果たします。特に、以下の点で有効です:
- 暴行・傷害事件の立証
- 被害の程度の客観的証明
- 事故ではなく犯罪であることの立証
診断書があることで、警察も事件として認知しやすくなり、適切な捜査が期待できます。また、告訴状を提出する場合も、診断書により告訴事実の裏付けが可能になります。
検察での起訴判断 検察官が起訴・不起訴を判断する際、診断書は重要な証拠の一つとなります。特に、被害の程度が軽微に見える場合でも、診断書により医学的に証明されることで、起訴の可能性が高まります。
刑事裁判での証拠 刑事裁判においては、診断書は客観的証拠として高い価値を持ちます。医師の専門的見解に基づく記載内容は、裁判官や陪審員に対して説得力のある証拠となります。
4-2. 民事手続きでの活用
保護命令の申立て DV防止法に基づく保護命令を申し立てる際、診断書は「身体に対する暴力又は生命等に対する脅迫を受けた」ことを証明する重要な資料となります。家庭裁判所は、診断書の記載内容を基に、保護の必要性を判断します。
慰謝料請求 DV加害者に対する慰謝料請求において、診断書は被害の程度を示す客観的証拠として活用されます:
- 身体的被害の程度と慰謝料額の算定根拠
- 精神的被害の立証
- 治療費等の実損害の証明
慰謝料の算定は、被害の程度、加害行為の悪質性、被害者の精神的苦痛の程度などを総合的に考慮して行われますが、診断書はこれらの要素を客観的に示す重要な資料となります。
損害賠償請求 治療費、通院交通費、休業損害などの積極損害の請求においても、診断書は必須の資料です:
- 治療の必要性の証明
- 通院回数・期間の根拠
- 就労制限の医学的根拠
4-3. 家事手続きでの活用
離婚調停・審判 離婚調停や審判において、DVの事実は重要な争点となることがあります。診断書は、以下の点で活用されます:
- DV事実の客観的証明
- 婚姻関係破綻の原因立証
- 精神的苦痛の程度の証明
親権・監護権争い 子どもがいる夫婦の離婚では、親権者の決定において子の福祉が最優先されます。DV加害者による診断書は:
- 加害者の暴力性の立証
- 子への悪影響の可能性の証明
- 面会交流制限の根拠
として重要な意味を持ちます。
面会交流の制限 離婚後の面会交流において、子の安全を守るため面会を制限する必要がある場合、過去のDVを示す診断書は:
- 面会交流の危険性の証明
- 制限の必要性の根拠
- 立会いや間接交流の必要性の裏付け
として活用されます。
4-4. その他の活用場面
行政手続き 各種行政サービスを受ける際にも、診断書が必要になることがあります:
- 生活保護申請時の状況説明資料
- 公営住宅の優先入居申請
- 児童扶養手当等の受給申請
保険金請求 生命保険や傷害保険の給付金請求においても、診断書は必要な書類となります。特に、就業不能保険や所得補償保険では、診断書により就労制限の程度が証明されます。
5. 取得時の注意点
診断書の証拠価値を最大化し、後の法的手続きで有効に活用するためには、取得時にいくつかの重要な注意点があります。
5-1. 医師への説明方法
「自傷ではない」旨の明確な伝達 医師に対しては、外傷が自傷行為や事故によるものではなく、他者からの暴力によるものであることを明確に伝える必要があります。医師は様々な可能性を考慮して診断を行うため、あいまいな説明では適切な診断書を得ることができません。
具体的には:
- 「夫に殴られました」
- 「恋人から暴力を受けました」
- 「配偶者に蹴られました」
といったように、はっきりと暴力の事実を伝えましょう。
暴力の状況の詳細説明 医師が受傷機転を正確に判断できるよう、暴力の状況を詳細に説明することが重要です:
- 誰に: 配偶者、元配偶者、恋人など加害者との関係
- どのように: 殴る、蹴る、物を投げる、押し倒すなど具体的行為
- 何で: 素手、足、ベルト、物など使用された道具
- いつ: 暴力を受けた正確な日時
- どこで: 自宅、車内など暴力の場所
- 継続性: 初回か、繰り返しか
精神的被害の詳細な症状説明 精神的DVによる心的外傷の場合、症状を具体的かつ詳細に医師に伝えることが重要です:
- 発症のきっかけ: 特定の暴力事件か、継続的暴力か
- 具体的症状: 不眠、悪夢、フラッシュバック、不安発作など
- 日常生活への影響: 仕事、家事、育児、社会活動への支障
- 症状の経過: いつから、どのような変化をたどっているか
- 既往歴: 以前の精神的問題の有無
5-2. 診断書記載内容の確認
記載内容の十分性チェック 診断書を受け取ったら、以下の点が適切に記載されているか確認しましょう:
- 受傷日と受診日の記載
- 外傷の部位と程度の詳細記載
- 受傷機転に関する医師の見解
- 治療期間の見込み
- 精神的症状の場合は診断名
不十分な記載がある場合は、医師に相談して追記や再発行を依頼することができます。
因果関係の記載確認 特に重要なのは、症状と暴力との因果関係に関する記載です。以下のような表現が含まれているか確認しましょう:
- 「他力による受傷と推定される」
- 「外力による損傷パターンを呈している」
- 「受傷機転として暴力が疑われる」
- 「配偶者からの暴力により発症したものと推定される」
5-3. 複数回受診の重要性
継続的症状の記録 一回の受診だけでなく、継続的に受診することで、症状の経過や治療の必要性を記録に残すことができます。これは以下の点で重要です:
- 被害の継続性・深刻性の証明
- 治療の必要性と期間の客観的証明
- 後遺症の可能性についての医学的見解の取得
異なる症状への対応 DVによる被害は、時間の経過とともに様々な症状が現れることがあります:
- 身体的外傷の後に精神的症状が顕著化
- 急性症状から慢性症状への移行
- 新たな症状の発現
それぞれの症状に応じて適切な診療科を受診し、診断書を取得することが重要です。
5-4. 費用と保険適用
診断書作成費用 診断書の作成には、通常3,000円から5,000円程度の費用がかかります。これは自由診療となるため、健康保険の適用はありません。ただし、経済的に困窮している場合は、以下の支援制度を利用できる場合があります:
- 法テラスの民事法律扶助
- 自治体の DV被害者支援制度
- 各種支援団体の経済的支援
治療費の保険適用 診断書作成費用は自費ですが、実際の治療については健康保険が適用されます。ただし、以下の点に注意が必要です:
- 加害者が保険証を管理している場合の対応
- 別居後の保険証の取り扱い
- 医療費の自己負担分の支払い方法
5-5. プライバシーと安全の確保
受診時の安全確保 加害者に監視されている状況では、安全に医療機関を受診するための工夫が必要です:
- 加害者の不在時を狙った受診
- 信頼できる友人・家族の同行
- 公的機関(警察、DV相談センターなど)への事前相談
診断書の保管 取得した診断書は、加害者に発見されないよう安全な場所に保管する必要があります:
- 信頼できる友人・家族宅での保管
- 弁護士事務所での保管
- 銀行の貸金庫の利用
- デジタルデータでのバックアップ保存
6. まとめ
DV被害における診断書は、単なる医療記録を超えた重要な法的証拠です。適切なタイミングで適切な医療機関を受診し、医師に正確な情報を提供することで、高い証拠価値を持つ診断書を取得することができます。
診断書の重要性は以下の点に集約されます:
客観的証拠としての価値 DV被害は密室で行われることが多く、目撃者がいないケースがほとんどです。このような状況で、医師という専門的第三者が作成する診断書は、被害事実を客観的に証明する貴重な証拠となります。
幅広い活用可能性 刑事手続き(被害届、告訴状)、民事手続き(慰謝料請求、損害賠償)、家事手続き(離婚、親権、面会交流)、行政手続きなど、様々な場面で活用可能です。一つの診断書が複数の手続きで活用できるため、取得する価値は極めて高いといえます。
被害の程度と継続性の証明 身体的被害だけでなく、精神的被害についても医学的に診断・記録されることで、DV被害の深刻さと継続的な影響を証明することができます。
早期取得の重要性 暴力を受けた直後から数日以内に受診することで、最も証拠価値の高い診断書を得ることができます。時間の経過とともに外傷は治癒し、症状と暴力との因果関係を証明することが困難になります。
専門的判断の重要性 医師の専門的見解に基づく受傷機転の推定や、精神的症状と暴力との因果関係の判断は、素人では得られない貴重な情報です。これらの専門的見解は、法的手続きにおいて高い説得力を持ちます。
DV被害者の方には、恐怖や混乱の中で適切な行動を取ることは困難かもしれません。しかし、将来的な法的手続きや自身と子どもの安全確保のためには、診断書の取得は不可欠です。
もし現在DV被害に遭っている方がこの記事をお読みになっているなら、ためらわずに医療機関を受診し、適切な診断書を取得することをお勧めします。また、一人で悩まず、DV相談ホットライン、警察、弁護士、支援団体などの専門機関に相談することも重要です。
診断書は、被害者が加害者から解放され、新たな人生を歩むための重要な一歩となります。適切な知識を持ち、勇気を出して行動することで、必ず道は開けるはずです。
最後に、DV被害は決して被害者の責任ではありません。どのような理由があっても、暴力は正当化されることはありません。一日も早く安全な環境を確保し、適切な支援を受けられることを心から願っています。

佐々木 裕介(弁護士・行政書士)
「失敗しない子連れ離婚」をテーマに各種メディア、SNS等で発信している現役弁護士。離婚の相談件数は年間200件超。協議離婚や調停離婚、養育費回収など、離婚に関する総合的な法律サービスを提供するチャイルドサポート法律事務所・行政書士事務所を運営。