はじめに
夫婦が別居状態にある場合、収入の多い側が少ない側に対して生活費を支払う義務があります。これを「婚姻費用」と呼びます。一度決定した婚姻費用の金額は、原則として両者の合意または裁判所の決定に基づいて支払い続ける必要があります。
しかし、人生には予期せぬ出来事が起こります。失業、病気、再婚、収入の大幅な変動など、当初想定していなかった事情が生じることは珍しくありません。そのような場合、婚姻費用の減額を求めることができるのでしょうか。
本記事では、婚姻費用の減額が認められる条件、具体的な手続き方法、実務上の注意点について詳しく解説します。婚姻費用の支払いに悩んでいる方、事情が変わって減額を検討している方にとって、実践的な情報を提供します。
1. 婚姻費用の減額とは
1-1. 婚姻費用減額の基本的な考え方
婚姻費用の減額とは、一度決定または合意した婚姻費用の金額を、事情の変化によって引き下げることを指します。婚姻費用は夫婦間の扶養義務に基づくものであり、民法第752条では「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」と定められています。
別居中であっても、この扶助義務は消滅しません。収入の多い側は少ない側に対して、自分と同程度の生活水準を保障する「生活保持義務」を負います。これは、自分の生活を犠牲にしてでも相手の生活を支える義務であり、非常に強い義務とされています。
しかし、一度決定した金額が永遠に固定されるわけではありません。当初の取り決め時には予想できなかった大きな事情の変化があった場合、その金額を見直すことが認められています。これを法律用語で「事情変更の原則」と呼びます。
1-2. 事情変更の原則とは
事情変更の原則とは、契約や合意が成立した後に、当事者が予見できなかった著しい事情の変化が生じた場合、その契約内容を変更または解除できるという法理です。婚姻費用の場合、この原則に基づいて金額の変更を求めることができます。
ただし、どんな変化でも認められるわけではありません。裁判所が重視するのは以下のポイントです。
- 予見可能性:当初の取り決め時に予測できなかった事情か
- 重大性:金額を変更する必要があるほど重大な変化か
- 継続性:一時的なものではなく、ある程度継続する変化か
- 因果関係:その変化が婚姻費用の支払能力や必要性に影響を与えるか
単なる気分の変化や、自己都合による変化では認められません。客観的に見て「これは仕方がない」と判断される事情が必要です。
1-3. 減額には家庭裁判所への申立てが必要
婚姻費用の減額を実現するには、原則として家庭裁判所に申立てを行う必要があります。当事者同士で話し合って合意できれば問題ありませんが、多くの場合、受給者側は減額に反対します。生活に直結する問題ですから、当然の反応といえるでしょう。
話し合いで解決できない場合、法的な手続きを踏む必要があります。具体的には「婚姻費用分担額変更調停」または「婚姻費用分担額変更審判」の申立てを行います。
重要なのは、申立てをしただけでは減額されないということです。裁判所が事情を審査し、「確かに減額すべき事情がある」と判断して初めて減額が実現します。そのため、客観的な証拠資料の準備が不可欠です。
1-4. 減額が認められるまでの期間
家庭裁判所に申立てをしてから実際に減額が認められるまでには、通常数ヶ月から半年程度かかります。調停は複数回開かれることが多く、双方の事情を丁寧に聴取し、証拠書類を確認する時間が必要だからです。
この間も、原則として従来の金額を支払い続ける義務があります。「減額の申立てをしたから支払わなくてよい」ということにはなりません。支払いを怠ると、未払い分として請求される可能性があります。
ただし、調停や審判で減額が認められた場合、通常は「申立ての時点」から減額が適用されます。つまり、申立て後に従来の金額を支払っていた場合、差額が清算されることがあります。
2. 減額が認められる主な条件
2-1. 支払義務者の収入が大幅に減少した場合
婚姻費用の減額が認められる最も典型的なケースが、支払義務者の収入減少です。婚姻費用の金額は双方の収入を基準に算定されるため、支払う側の収入が大きく減れば、支払能力も低下します。
認められやすい収入減少の例
- 会社の倒産・リストラによる失業:本人の意思に関わらず職を失った場合、収入はゼロまたは大幅に減少します。失業保険の受給額は以前の収入よりはるかに少ないため、減額の正当な理由となります。
- 病気やケガによる休職・退職:医師の診断書があり、客観的に就労困難な状態であることが証明できる場合、減額が認められやすくなります。特に長期の療養が必要な場合や、障害が残った場合は、将来的な収入見込みも考慮されます。
- 会社の業績悪化による給与削減:勤務先の経営状況悪化により、給与やボーナスが大幅にカットされた場合も該当します。ただし、会社からの通知文書や給与明細など、客観的な証拠が必要です。
- 事業の不振による収入減:自営業者や個人事業主の場合、事業収入の減少が認められることがあります。確定申告書や帳簿などで収入減を客観的に示す必要があります。
減額幅の目安
収入減少による減額は、裁判所の婚姻費用算定表を用いて再計算されます。例えば、年収600万円から400万円に減少した場合、算定表上の婚姻費用も相応に減額されます。減額幅は収入減の程度、相手方の収入、子どもの人数などによって異なります。
2-2. 認められにくい収入減少のケース
一方で、同じ収入減少でも減額が認められにくいケースがあります。
自己都合による転職
より条件の良い職場を求めて転職したものの、一時的に収入が下がった場合、減額は認められにくい傾向があります。転職は本人の自由意思によるものであり、予見可能な結果だからです。
ただし、転職の理由が正当な場合(パワハラ、違法な労働条件など)や、やむを得ない事情がある場合は別です。転職の経緯を丁寧に説明し、証拠を提出することで認められる可能性があります。
努力不足による収入減
十分な求職活動をせずに失業状態を続けている場合や、働く能力があるのに働いていない場合、裁判所は「潜在的稼働能力」を認定することがあります。つまり、実際の収入ではなく、「本来得られるはずの収入」を基準に婚姻費用を算定されることがあるのです。
一時的な収入減
ボーナスが一回減った程度の一時的な変動では、継続的な事情変更とは認められません。数ヶ月にわたって継続的に収入が減少している必要があります。
2-3. 新たに扶養すべき家族が増えた場合
支払義務者に新たな扶養義務が発生した場合も、減額事由となり得ます。
再婚による新たな配偶者
別居中の配偶者との婚姻関係が継続している場合でも、事実婚状態で新しいパートナーと生活を始めることがあります。さらに、離婚が成立して正式に再婚した場合、新しい配偶者に対する扶養義務が生じます。
ただし、法律婚の配偶者(別居中の妻または夫)への扶養義務がなくなるわけではありません。複数の扶養義務が競合する場合、裁判所は総合的に判断します。
新たな子どもの誕生
再婚相手との間に子どもが生まれた場合、新しい子どもに対する扶養義務が発生します。扶養すべき人数が増えることで、一人当たりに配分できる金額が減少するため、別居中の配偶者への婚姻費用が減額される可能性があります。
また、再婚相手に連れ子がいて、養子縁組をした場合も同様です。法的に親子関係が成立すれば、扶養義務を負うことになります。
親の介護が必要になった場合
高齢の親が要介護状態になり、自分が主たる介護者・扶養者となった場合も考慮されることがあります。特に親に十分な収入や資産がなく、他に扶養できる人がいない場合、減額事由として認められる可能性があります。
2-4. 受給者の収入が増加した場合
婚姻費用は双方の収入差に基づいて算定されるため、受給者側の収入が増えた場合も減額事由となります。
就職・転職による収入増
別居当初は専業主婦(主夫)だった受給者が就職した場合、または収入の低いパートから正社員になった場合など、収入が増加すれば婚姻費用は減額されます。
算定表では、双方の収入を基準に婚姻費用を算出します。受給者の収入が増えれば、その分だけ婚姻費用は少なくなります。
昇給・昇進による収入増
受給者が継続して働いている場合でも、昇給や昇進により収入が大幅に増加することがあります。この場合も、新しい収入状況に基づいて婚姻費用を再計算することが可能です。
遺産相続や資産収入
受給者が親族から遺産を相続し、まとまった資産を得た場合や、不動産収入などの資産収入が新たに発生した場合も、減額事由となり得ます。ただし、一時的な収入ではなく、継続的に生活を支える資産であることが必要です。
2-5. 子どもの進学や進路変更により生活費負担が変化した場合
子どもに関する事情の変化も、婚姻費用の見直し事由となります。
子どもの独立・就職
婚姻費用の算定において、未成熟子(経済的に自立していない子)の人数は重要な要素です。子どもが成人して就職し、経済的に自立した場合、その子どもは婚姻費用の計算対象から外れます。
例えば、子ども2人を含めて計算されていた婚姻費用が、1人の子どもの就職により子ども1人分の計算になれば、当然金額は減少します。
子どもが義務者側と同居することになった場合
別居当初は子どもが受給者側と同居していたものの、その後子どもが義務者側と暮らすことになった場合、婚姻費用は大きく変わります。子どもの生活費を直接負担することになるため、別居配偶者への支払額は減額されます。
場合によっては、立場が逆転し、相手方が婚姻費用を支払う側になることもあります。
子どもの進学による負担増
一般的に、子どもが高校から大学に進学する際、教育費は増加します。しかし、婚姻費用の算定表は子どもの年齢を考慮していないため、進学による費用増加は算定表上は反映されません。
ただし、特別な事情(私立医学部への進学など、通常想定される以上の費用がかかる場合)については、別途協議の対象となることがあります。
2-6. その他、当初想定されていなかった特別な事情
上記以外にも、個別のケースに応じて減額が認められる事情があります。
義務者の借金返済
別居前からあった借金ではなく、別居後に予期せぬ事情で多額の借金を負うことになった場合(保証債務の履行、災害による損失など)、返済負担が考慮されることがあります。ただし、単なる浪費や投機による借金は考慮されません。
災害や事故による損失
地震、火災、水害などの災害により住居や財産を失った場合、一時的に経済状況が悪化します。このような予測不可能な事情による損失は、減額事由として考慮される可能性があります。
長期的な別居による生活実態の変化
別居が非常に長期にわたり、事実上の離婚状態が続いている場合、当初の婚姻費用が実情に合わなくなることがあります。ただし、単に「長期間別居している」というだけでは減額理由にはなりません。
3. 減額申立ての方法
3-1. 管轄する家庭裁判所を確認する
婚姻費用の減額を求める場合、まず申立てをする家庭裁判所を確認する必要があります。管轄は原則として「相手方の住所地を管轄する家庭裁判所」です。
例えば、あなたが東京都に住んでいて、別居中の配偶者が大阪府に住んでいる場合、大阪家庭裁判所またはその支部に申立てをすることになります。
ただし、当事者双方が合意すれば、別の家庭裁判所に申立てることも可能です(合意管轄)。遠方で調停に出席するのが困難な場合は、相手方と協議してみる価値があります。
3-2. 必要書類を準備する
減額申立てには、以下の書類が必要です。
基本的な書類
- 婚姻費用分担額変更申立書:家庭裁判所に用意されている書式です。裁判所のウェブサイトからダウンロードすることもできます。申立ての理由を具体的に記載する必要があります。
- 戸籍謄本:夫婦関係を証明するために必要です。本籍地の市区町村役場で取得できます。
- 収入に関する資料:源泉徴収票、給与明細(直近3ヶ月分程度)、確定申告書の控えなど、現在の収入状況を示す書類が必須です。
減額理由を裏付ける書類
減額を求める理由によって、追加で提出すべき書類が異なります。
- 失業の場合:離職票、雇用保険受給資格者証、ハローワークでの求職活動の記録など
- 病気・ケガの場合:医師の診断書、就労不能証明書、障害者手帳の写しなど
- 給与削減の場合:会社からの通知文書、削減前後の給与明細、就業規則の変更に関する書類など
- 再婚・出産の場合:新配偶者の戸籍謄本、子どもの出生届の写し、新配偶者の収入資料など
- 相手方の収入増の場合:相手方の給与明細、源泉徴収票など(入手できる場合)
収入資料は、変更後の状況だけでなく、変更前の状況も分かるように準備すると、変化の程度を明確に示せます。
3-3. 申立書の記載ポイント
申立書には「申立ての趣旨」と「申立ての理由」を記載する欄があります。
申立ての趣旨
「現在支払っている婚姻費用月額○○円を、月額△△円に減額する」というように、具体的な金額を記載します。希望額は、裁判所の算定表に基づいて計算した金額を参考にすると良いでしょう。
申立ての理由
事情変更の内容を具体的に記載します。いつ、どのような事情が発生し、それによってどのような影響が出ているのかを時系列で分かりやすく説明します。
記載例: 「令和○年○月に勤務先が経営不振により倒産し、失業しました。現在は雇用保険を受給しながら求職活動を続けていますが、月収は以前の約3分の1に減少しています。従来の婚姻費用を支払い続けることは困難な状況です」
感情的な表現は避け、客観的事実を淡々と記載することが重要です。
3-4. 調停の流れ
申立てが受理されると、家庭裁判所から調停期日の呼出状が届きます。初回の調停は、申立てから1〜2ヶ月後に設定されることが多いです。
調停当日の流れ
調停は平日の日中に開かれます。調停委員(通常は2名)が間に入り、双方から事情を聴き取ります。
- 待合室で待機:申立人と相手方は別々の待合室で待ちます。顔を合わせないよう配慮されています。
- 交互に調停室へ:調停委員が交互に双方を調停室に呼び、それぞれの話を聞きます。一回の入室時間は20〜30分程度です。
- 事情の聴取:収入状況、生活状況、減額を求める理由、相手方の意見などを確認します。提出した資料についても質問されます。
- 調停案の提示:双方の話を聞いた上で、調停委員が妥当と思われる金額を提案することがあります。
- 次回期日の調整:一回で合意に至らない場合、次回期日を決めて終了します。通常1〜2ヶ月後に設定されます。
調停の回数
ケースによって異なりますが、平均して3〜5回程度の調停が開かれます。双方の主張が大きく対立している場合や、事実関係の確認に時間がかかる場合は、それ以上かかることもあります。
3-5. 合意できた場合
調停で双方が合意に至れば、「調停調書」が作成されます。調停調書には法的な強制力があり、確定判決と同じ効力を持ちます。
調停調書の記載内容は、通常以下のようなものです。
「申立人は相手方に対し、婚姻費用として令和○年○月から月額○○円を支払う」
調停成立後は、合意した金額を支払っていくことになります。調停調書に記載された内容に従わない場合、強制執行(給与差押えなど)の対象となります。
3-6. 合意できない場合は審判へ
調停で合意に至らない場合、手続きは自動的に審判に移行します(調停前置主義の例外)。
審判手続き
審判では、裁判官が双方の主張と証拠を検討し、職権で婚姻費用の額を決定します。当事者の合意は不要で、裁判官が「これが妥当」と判断した金額が決定されます。
審判では追加の書面提出や証拠調べが行われることもあります。必要に応じて、当事者本人や関係者が呼ばれて事情を聴かれることもあります。
審判の結果
審判が下されると「審判書」が送達されます。審判書には、決定された婚姻費用の額とその理由が記載されています。
審判に不服がある場合は、2週間以内に高等裁判所に即時抗告することができます。ただし、抗告が認められるのは審判に重大な誤りがある場合に限られます。
抗告がなければ、審判は確定し、法的に有効な決定となります。
3-7. 弁護士に依頼するかどうか
婚姻費用の減額調停は、弁護士に依頼せず本人だけで行うことも可能です。実際、多くの方が本人で調停に臨んでいます。
本人で行う場合のメリット
- 弁護士費用がかからない
- 自分の事情を直接説明できる
- 柔軟にスケジュールを調整できる
弁護士に依頼する場合のメリット
- 法的な主張を的確に構成できる
- 有利な証拠の収集と提示方法をアドバイスしてもらえる
- 調停委員との交渉を任せられる
- 相手方が弁護士を立てている場合に対等に対応できる
- 審判になった場合の対応がスムーズ
判断のポイントは、事案の複雑さと自分の負担能力です。単純な収入減少のケースなら本人でも対応可能ですが、複数の事情が絡む複雑なケースや、相手方が弁護士を立てている場合は、専門家のサポートを受けた方が安心です。
4. 実務での注意点
4-1. 減額は「将来分」にしか適用されない
婚姻費用の減額が認められた場合、その効力がいつから発生するかは非常に重要です。
原則:申立て時からの減額
裁判所の実務では、減額の効力は「申立ての時点」から認められるのが原則です。つまり、調停や審判で減額が決定された場合、申立てをした月まで遡って減額が適用されます。
例:令和6年4月に申立て、同年9月に減額決定(従来月額10万円→月額6万円) →令和6年4月分から月額6万円となり、4月から8月までの差額(月4万円×5ヶ月=20万円)が清算される
過去の未払い分には遡れない
ただし、申立て以前の期間については減額されません。すでに支払い済みの婚姻費用を返還してもらうことはできませんし、未払いだった分についても従来の金額で請求される可能性があります。
これは、減額には家庭裁判所の手続きが必要であり、申立て前は従来の金額が有効だったという考え方に基づいています。
実務上の対応
この原則があるため、事情が変わったら早めに申立てをすることが重要です。「まだ様子を見よう」と先延ばしにすると、その間も従来の高額な婚姻費用を支払う(または未払いとして請求される)ことになります。
4-2. 自己都合による収入減は認められにくい
繰り返しになりますが、収入が減少すれば必ず減額が認められるわけではありません。裁判所が重視するのは「やむを得ない事情かどうか」です。
認められにくい典型例
- 安易な転職:より楽な仕事を求めて転職し、収入が下がった場合
- 独立開業の失敗:十分な準備や見通しなく独立し、収入が不安定になった場合
- 自主退職:会社に不満があって辞めた場合(パワハラなど正当な理由がある場合を除く)
- 勤務時間の短縮:自分の都合でパートタイムに変更した場合
これらのケースでは、「潜在的稼働能力」が認定されることがあります。つまり、「あなたは本来もっと稼げるはずだから、その能力に基づいて婚姻費用を算定する」という判断です。
やむを得ない事情をどう示すか
自己都合ではないことを示すには、客観的な証拠が重要です。
- リストラの場合:会社からの解雇通知書、整理解雇の対象者リストなど
- 病気の場合:医師の診断書、就労不能を示す意見書
- 会社都合の給与削減:会社からの通知文書、労働組合との協議記録
「仕方なかった」ことを客観的に証明できる資料を揃えることが、減額を認めてもらうための鍵となります。
4-3. 減額請求中でも従来額を支払う義務がある
減額の申立てをしたからといって、ただちに支払額を減らすことはできません。調停や審判で正式に減額が決定されるまでは、従来の金額を支払い続ける義務があります。
自己判断での減額は危険
「事情が変わったから、今月から勝手に減額して支払おう」という対応は避けるべきです。これは義務の不履行とみなされ、以下のリスクがあります。
- 未払い分の請求:減額が認められなかった場合、従来額との差額を一括請求される
- 遅延損害金:未払い期間に応じて遅延損害金が発生する
- 強制執行:給与や預金を差し押さえられる可能性がある
- 離婚調停での不利益:婚姻費用を支払わない者として、離婚条件の交渉で不利になる
支払いが困難な場合の対応
どうしても従来額を支払うことが困難な場合は、以下の対応を検討してください。
- 相手方と直接交渉する:事情を説明し、一時的な減額や支払い猶予について合意できないか相談する
- 調停で「審判前の保全処分」を求める:緊急性が高い場合、審判が出るまでの間、仮の減額を認めてもらえることがある(ただし認められるハードルは高い)
- 法テラスを利用する:収入が少ない場合、法テラスで弁護士費用の立替えを受けられることがある
いずれにしても、無断で支払いを止めることは避け、何らかの手続きを通じて対応することが重要です。
4-4. 裁判所は生活保持義務の観点から最低限の額を維持する
婚姻費用の減額が認められる場合でも、ゼロになることはほとんどありません。裁判所は「生活保持義務」という強い義務を重視するからです。
生活保持義務とは
生活保持義務とは、自分の生活を保持するのと同程度の生活を相手にも保持させる義務です。これは通常の扶養義務(生活扶助義務)よりも重い義務とされています。
具体的には、支払義務者が月収20万円しかない場合でも、自分が10万円、相手に10万円というように、同水準の生活を保障する必要があるという考え方です。
最低生活費の保障
裁判所の算定表は、双方が最低限の生活を維持できることを前提に作られています。たとえ支払義務者の収入が大幅に減少しても、受給者側の最低生活費を下回るような減額は認められにくい傾向があります。
例えば、受給者が専業主婦で収入がゼロの場合、月額3〜5万円程度の婚姻費用は維持されることが多いです。これは受給者の最低限の生活を保障するためです。
双方の生活実態の考慮
調停や審判では、支払義務者だけでなく、受給者側の生活状況も詳しく調査されます。受給者が親族の支援を受けている、実家に住んで住居費がかからない、パートで一定の収入があるなどの事情があれば、それらも考慮されます。
逆に、受給者が病気で働けない、小さな子どもの養育で就労困難などの事情があれば、より高額の婚姻費用が必要と判断されることもあります。
4-5. 支払実績は離婚協議にも影響する
婚姻費用の支払状況は、その後の離婚協議にも影響を与えることがあります。
財産分与への影響
婚姻費用を適切に支払っていたかどうかは、財産分与の額に影響することがあります。長期間支払いを怠っていた場合、その分を財産分与で調整される可能性があります。
逆に、離婚まで誠実に婚姻費用を支払い続けた場合、それは有利な事情として考慮されることがあります。
慰謝料への影響
婚姻費用の支払いを一方的に拒否し続けた場合、それ自体が「悪意の遺棄」として慰謝料請求の対象となる可能性があります。特に相手方が経済的に困窮している場合、その責任を問われることがあります。
親権者指定への影響
子どもの親権が争われている場合、婚姻費用(特に子どもの養育費部分)をきちんと支払っていたかは、親としての責任感を示す要素として考慮されます。
支払いを怠っていた場合、「経済的に子どもを支える意思や能力に欠ける」と判断される可能性があります。
4-6. 記録を残すことの重要性
婚姻費用に関するあらゆるやり取りは、記録として残しておくことが重要です。
保管すべき記録
- 支払いの証拠:銀行振込の記録、領収書、送金明細など
- 収入の証拠:給与明細、源泉徴収票、確定申告書の控えなど(数年分)
- 相手方とのやり取り:メール、LINE、手紙など、婚姻費用について協議した記録
- 調停・審判の記録:申立書の控え、調停調書、審判書など
- 事情変更の証拠:失業、病気、再婚など、減額を求める根拠となる出来事の証拠
記録が役立つ場面
- 相手方から「支払いを受けていない」と主張された場合に反証できる
- 減額申立ての際、収入変化を客観的に示せる
- 離婚協議で、これまでの経緯を説明する材料になる
- 税務上の扱いを証明する必要がある場合
特に銀行振込で支払っている場合は、振込明細が証拠になります。現金で手渡している場合は、必ず領収書をもらうようにしましょう。
4-7. 婚姻費用と養育費の違いを理解する
婚姻費用の減額を考える際、離婚後の養育費との違いを理解しておくことも重要です。
婚姻費用:離婚前の生活費全般
婚姻費用には、配偶者の生活費と子どもの養育費の両方が含まれます。そのため、養育費よりも金額が高くなるのが通常です。
養育費:離婚後の子どもの養育費のみ
離婚が成立すれば、元配偶者への扶養義務はなくなり、支払うのは子どもの養育費のみになります。そのため、婚姻費用よりも減額されるのが一般的です。
早期離婚という選択肢
婚姻費用の支払いが大きな負担になっている場合、離婚協議を進めることで負担を軽減できる可能性があります。ただし、離婚には財産分与や慰謝料などの問題も伴うため、総合的に判断する必要があります。
離婚を急ぐあまり、不利な条件で合意してしまうことは避けるべきです。弁護士などの専門家に相談しながら、慎重に進めることをお勧めします。
4-8. 継続的な状況変化への対応
一度減額が認められた後も、さらなる事情変更があれば再度の変更申立てが可能です。
再度の減額申立て
減額後にさらに収入が減った、新たな子どもが生まれたなどの事情があれば、再度の減額を求めることができます。ただし、頻繁に申立てを繰り返すと、裁判所から「収入を安定させる努力が不足している」と判断される可能性があります。
増額請求される可能性
逆に、減額後に収入が回復した場合、相手方から増額請求される可能性もあります。収入の変動が激しい職業の場合、このような増減を繰り返すことになるかもしれません。
定期的な見直しの合意
調停の中で、「1年ごとに双方の収入を確認し、必要があれば金額を見直す」という条項を入れることもあります。これにより、その都度調停を申し立てる手間を省くことができます。
5. まとめ
5-1. 婚姻費用減額の要点整理
婚姻費用の減額は、決して不可能ではありませんが、いくつかの重要なポイントを押さえる必要があります。
減額が認められるための3つの条件
- 大きな事情変更があること:単なる気分の変化ではなく、客観的に見て重大な変化が必要です。収入の大幅な減少、新たな扶養義務の発生、相手方の収入増加などが典型例です。
- 予見不可能な変化であること:当初の取り決め時には予測できなかった事情である必要があります。自己都合による転職など、予見可能な変化では認められにくくなります。
- 継続的な変化であること:一時的な変動ではなく、ある程度継続する事情である必要があります。1回のボーナス減額では不十分で、数ヶ月以上の継続的な収入減が必要です。
手続きの要点
- 減額には家庭裁判所への申立てが必要
- 客観的な証拠資料(収入証明、診断書など)の準備が不可欠
- 調停で合意できない場合は審判に移行
- 決定までは従来額を支払い続ける義務がある
- 減額の効力は原則として申立て時から発生
実務的な留意点
- 裁判所は生活保持義務を重視し、受給者の最低生活費を保障する傾向がある
- 自己都合による収入減では「潜在的稼働能力」を認定されることがある
- 支払実績は離婚協議にも影響するため、誠実な対応が重要
- 事情が変わったら早めに申立てをすることで、無駄な支払いを避けられる
5-2. よくある誤解と正しい理解
婚姻費用の減額については、いくつかの誤解があります。正しく理解することで、適切な対応ができます。
誤解1:「離婚調停中だから婚姻費用を払わなくてよい」
正しい理解:離婚調停中であっても、婚姻関係が継続している限り婚姻費用の支払義務は続きます。離婚が成立するまでは支払いが必要です。
誤解2:「別居の原因が相手にあるから払わなくてよい」
正しい理解:別居の原因がどちらにあるかは、婚姻費用の支払義務に直接影響しません。ただし、受給者側に著しい有責性がある場合(不貞行為など)、減額が考慮されることはあります。
誤解3:「相手が働けるのに働いていないから減額できる」
正しい理解:相手方に稼働能力があるのに就労していない場合、裁判所が「潜在的稼働能力」を認定して婚姻費用を算定することはあります。ただし、小さな子どもの養育や病気などの正当な理由がある場合は考慮されます。
誤解4:「一度決まったら二度と変更できない」
正しい理解:事情変更があれば、何度でも変更申立ては可能です。ただし、頻繁な申立ては裁判所の印象を悪くする可能性があるため、本当に必要な場合に限るべきです。
誤解5:「弁護士に頼まないと減額は認められない」
正しい理解:本人だけで調停を行い、減額が認められるケースは多数あります。ただし、事案が複雑な場合や法的判断が難しい場合は、専門家のサポートを受けた方が有利に進められます。
5-3. 減額請求を成功させるためのポイント
実際に減額を実現するためには、戦略的なアプローチが必要です。
早期の行動
事情が変わったら、できるだけ早く申立てをすることが重要です。申立て前の期間については減額されないため、先延ばしにするほど損失が大きくなります。
失業や病気など、明確な事情変更があった時点で、すぐに行動を起こしましょう。
徹底的な証拠収集
主観的な主張だけでは減額は認められません。客観的な証拠を徹底的に集めることが成功の鍵です。
- 収入減少:給与明細、源泉徴収票、解雇通知書など
- 病気:診断書、就労不能証明書、治療費の領収書など
- 再婚:戸籍謄本、新配偶者の収入証明、子どもの出生証明書など
- 相手方の収入増:源泉徴収票、給与明細など(入手可能な場合)
証拠は「多すぎる」ということはありません。関連する資料はすべて提出しましょう。
冷静で論理的な主張
調停の場では、感情的にならず、冷静に事実を説明することが重要です。相手方への不満や愚痴を述べるのではなく、「なぜ減額が必要か」を論理的に説明しましょう。
調停委員は中立的な立場で判断します。感情的な態度は逆効果になることが多いため、落ち着いた対応を心がけてください。
相手方の事情への理解
減額を求める一方で、相手方の生活にも配慮する姿勢を見せることが重要です。「相手方の生活も理解しているが、自分も本当に困難な状況にある」という姿勢で臨むことで、調停委員の理解を得やすくなります。
一方的に自分の都合だけを主張すると、印象が悪くなります。
代替案の提示
全額の減額が難しい場合でも、部分的な減額や支払時期の調整など、代替案を提示することで合意に至る可能性が高まります。
柔軟な姿勢を示すことで、相手方も歩み寄りやすくなります。
5-4. 専門家への相談の重要性
婚姻費用の減額は法的な手続きを伴うため、専門家のアドバイスを受けることが有益です。
弁護士に相談すべきケース
- 減額を求める理由が複数あり、複雑な場合
- 相手方が減額に強く反対している場合
- 相手方が弁護士を立てている場合
- 過去に未払いがあり、法的問題が生じている場合
- 離婚協議と並行して進める必要がある場合
初回相談は多くの場合無料または低額
多くの法律事務所では、初回相談を無料または30分5,000円程度の低額で受け付けています。まずは相談してみて、自分のケースで減額が認められる可能性があるか、専門家の見解を聞くことをお勧めします。
法テラスの活用
収入が一定額以下の場合、法テラス(日本司法支援センター)を利用できます。法テラスでは、無料法律相談や弁護士費用の立替え制度があります。
経済的に弁護士費用の支払いが困難な場合でも、サポートを受けられる可能性があります。
家庭裁判所の相談窓口
各家庭裁判所には「家事手続案内」という窓口があり、手続きの進め方について一般的な説明を受けることができます。ただし、個別のケースについての法的判断やアドバイスは行っていません。
あくまで手続きの流れや必要書類についての案内を受ける場としてご利用ください。
5-5. 最後に
婚姻費用の減額は、決して「相手を困らせるため」の手段ではありません。真に支払いが困難な状況に陥った場合に、双方の生活実態に合わせて適正な金額を再設定するための制度です。
人生には予期せぬ出来事が起こります。失業、病気、家族構成の変化など、当初は想定していなかった事情が生じることは誰にでもあり得ます。そのような場合に、法律は柔軟な対応を認めています。
重要なのは、「支払えないから無視する」のではなく、「適切な手続きを通じて調整する」という姿勢です。一方的に支払いを止めたり、無断で減額したりすることは、法的なトラブルを拡大させるだけです。
事情が変わったら、まずは相手方と誠実に話し合うこと。それが難しければ、家庭裁判所の調停制度を利用すること。そして必要に応じて専門家のサポートを受けること。これらの適切なステップを踏むことで、あなたの状況に合った解決策が見つかるはずです。
婚姻費用の問題は、離婚までの一時的な問題に過ぎません。適切に対処することで、その後の人生をより良い形でスタートさせることができます。
困難な状況にあっても、適切な手続きと誠実な対応を心がけることで、必ず道は開けます。この記事が、婚姻費用の減額について悩んでいる方の一助となれば幸いです。

佐々木 裕介(弁護士・行政書士)
「失敗しない子連れ離婚」をテーマに各種メディア、SNS等で発信している現役弁護士。離婚の相談件数は年間200件超。協議離婚や調停離婚、養育費回収など、離婚に関する総合的な法律サービスを提供するチャイルドサポート法律事務所・行政書士事務所を運営。